浮世でランチ

酔っぱらって音楽をかけて寝床で本を読みつつそのまま寝入ってしまう日々。全くもってダメ人間ですが、秋は体調を崩しがちなので、よく眠れているだけよしとしよう。

山崎ナオコーラ「浮世でランチ」は、なかなかでした。ちょっと規格外というか、はかりしれない魅力を持った作家だなあという気がしました。

この話には、お墓、ランチ、手紙、南国、未分化な性的衝動(=体の中にうずまく矢印、というのは私の勝手な解釈ですが)なんかが出てきて、キセルの「ピクニック」みたいで嬉しいなあ、というのはファンのひいき目、というか単なるこじつけですね。
あと、神様が重要な位置を占めてます。(「火の鳥」に、神様のしっぽつかんで、というフレーズがあったなあ・・・って、ほとんど病気かも。私が。)

はじめに読んだときは中盤あたりでちょっとだれて、このままだらだら続いて終わるのかな・・・と思ったら、終盤に過去と現在がクロスするちょっとした出来事があって、そのさりげなさ加減が泣ける、という感じでした。読み終えてしばらくしたら、やっぱりナオコーラすごいかも、と思った。

クラスメート4人と宗教ごっこをする中学生の主人公が、神様のふりをした仲間のうちの誰かと、こっそり文通する。そのうちの1通が、すごくよかった。以下引用。


神様へ

そうかもしれません。私は素晴らしい世界にいるのかも
お風呂に入らないでいると、痒くなる、あたたかい体を持っています。
そしてお風呂に入ると、石けんの泡が、毎回違う形になるのを見ることができます。
その泡の形は、そのときだけのもの、世界で私だけが見たものです。
葉っぱの影の形もそう、雨が窓を伝う水滴の形もそう、私だけが見ています。
立派な人間になれなくったって、周りの人に迷惑をかけたって、
こうした化学変化が絶えず起きている世界で生きていけるのは嬉しいことです。

丸山君枝より


ここひと月ほど日記を書かずに寝てばかりいるのでたくさん夢を見る。
読んだあと、中高と同じ部活で一緒にクラリネットを吹いていた友だちが夢に出てきた。家が近所で、お互い他に「親友」みたいな友達がいたせいか、精神的にベタベタした感じではなくって、でもすごく好きな友だちだった。よく学校帰りに家の前で長々立ち話をしたっけ。都内の国立大学を卒業したあと外資系企業に就職して、辞めて、アメリカの大学に留学して、という華々しいキャリアを重ねた彼女に対して、一方の私は大学を卒業はしたけど入院はするしバイト生活だしで、気後れして連絡を取らなくなってしまった。なので今どうしているかは知らない。家はほんとにすぐそばなのにな。

仲よくしてたあの頃がひどく懐かしくて、まぶしいほど。