夢であった猫

先月、印象派というバンドのライブを観る機会があって、ほとんど予備知識のないまま観たのですが、かわいいしかっこいいし、関東で初の自主企画かつレコ発ライブということだったので、こんなん観たらCD買わないわけにいきません、謹んで購入させて頂きます…という感じで、ライブ観終えて、さっさとCD買って帰ろ〜とすみやかに物販に立ち寄ったら誰もいないので待つことしばし、気づいたら、本人たちの手売りタイムを行列の先頭で待ち構えてる人状態になってしまい、非常に気恥ずかしかったです。印象派はキュートな女子二人組なので。そうこうして買って帰ったCDの中の、「球状」と「夢であった猫」という二曲がすごく好きでよくリピートしている今日この頃です。「夢であった猫」はどうしてもクロさんのイメージを投影してつい涙ぐんでしまいます。切ないけれど明るくてポップな曲調なので、涙ぐむところで止まれるのがまたよくて。この曲のタイトルをお借りしてクロさんのことを書きたいなと思いました。

最近、お手伝いしてるお店やライブで二十代前半の若者と一緒になる機会が多く、これ頑張れば産めてたくらいの年の差だよな〜とどこか他人事のように思うのですが、皆それぞれにしっかりしてたりキラキラしてたりなんだか眩しいくらいで、自分がこれくらいの年のときどうだったっけ?と振り返ると、いやー酷いもんだったな〜〜としんみりします。二十代半ばで、ワーホリに行った先のカナダで調子崩して入院沙汰になって両親に迎えに来てもらうという悲惨かつ情けなくやるせない経験をしたのですが、そのとき、ホームステイさせてもらった鳥の研究者の方がわたしの両親までまとめて何日か面倒見て下さって、とても温かいご家族でした。そこのおうちに猫がいたことが父の印象に残ったそうです。もともと父は子供の頃に九州の田舎でずっと身近に猫がいたせいで大の猫好きで、野良猫を見かける度に声をかけては近づいて行って撫でようとしていた姿をよく覚えています。わたしが小学五年生のとき、たしか父が、捨て猫を拾ってきて半年くらい飼っていたのですが、当時は団地がペット禁止だったので、ある日ついに母が捨ててきてしまって、捨てたという場所を聞き出して弟と二人で泣きながら探しに行ったのですが結局見つからず、かわいがっていたのでものすごく悲しかったです。
ワーホリに行った翌年の2000年の春、団地もペット可になったし猫を飼おうと父が言い出して、捨て猫保護活動をしている母の知人のつてで、雄と雌のきょうだいの仔猫が二匹我が家にやって来ました。わたしは捨て猫の一件がわだかまりとなっていて、親が飼いたいなら勝手に飼えば、けどわたしは一切面倒見ないからね、というスタンスで最初はいました。しかしながらクロとミケという名前はわたしが付けたのですが。黒猫じゃなくてグレーと白だし、三毛でもないのだけれど、母に変にファンシーな名前をつけられちゃかなわんと思って。テキトーなところがせめてもの抵抗ではありました。とはいえもちろん仔猫はかわいくて、家中を所狭しと駆け回るエネルギーのせめてもの解消にと、当時は通院しつつフリーター生活で家にいる時間が家族の中で一番長くて暇といえば暇だったので、おもちゃやら紐やらでこっちも疲れるまでお互い本気で遊ばせたものです。そもそも小さい頃から生き物が好きでムツゴロウ王国に憧れていたくらいだったし。ばななさんがエッセイで「人間でも動物でも、男の子は倒れるまで遊ぶけど女の子はどこか余力を残す」というようなことを書いていたのは本当で、遊ばせているとはじめのうちは二匹とも夢中なんだけど、ミケさんは、まあいいわ、もう十分、という感じでクールにすっと止めるのに、クロは飽きるどころかより興奮してしまいにはわけわかんなくなっちゃって、こっちが止めるとその場にへたり込む、くらいな感じでした(←書いてて笑えてきた)。そのうち、バネのついたおもちゃに紐やボロ布やおもちゃをくくりつけた「お気に入り」ができて、まあわたしが作ってるんですけど、それをしまってる引き出しを開けようとするだけでクロは興奮するほどでした。毬みたいにポーンと何度も跳ねて、それはもう見事なジャンプ力だったなあと懐かしくなります。洋猫との雑種だったようで二匹とも長毛だし体もどんどん大きくなって、全盛期で六キロほどあったかと思います。なかなかにでっぷりとした貫禄のある体格でしたが、若い頃はそれでも敏捷で、よく家から脱走してました。特にクロ。しかも自力では戻って来れないアホ猫っぷりで、連れて帰るのがまた一苦労でした。一度一週間くらい見つからなかったときは気が気じゃなかった覚えがありますが、大抵は、団地の棟のまわりでひっそり過ごしていたのか、お腹が空いてくると、名前を呼んで探すと返事をするんだけど、捕まえようとすると逃げるので、まったくこのバカ!って感じでした。けど団地の庭や植え込みの茂みで一晩明かすのは箱入り猫にとってきっと大冒険だったんだろうな。狭い室内に人間のエゴで閉じ込めて飼うことへの疑問は頭から拭い去れなかったけど、縁があって一緒に暮らしているからには、できることはしてあげたいと思ってました。父が定年退職後に単身で九州に戻るまでは、クロが父べったりで、ミケさんはむしろわたしになついていたのですが、父がいなくなるとパワーバランスが変化して、クロが甘え先を求めてわたしと一緒にいる時間が増えるにつれ、ミケからは距離を置かれるようになりました。二匹とも一見してそんなに仲良しって感じではなく、寒くなると暖を取るためにくっついているようだけど、暑いときはそうでもないし、常に互いの存在をを意識して行動してるよな〜というのは端々から感じました。そしてミケは人間と猫の違いをわきまえて常にどこか一歩引いたスタンスだけど、クロはあまり自覚がなさそうだなと思ってて、だから余計に人に手放しで甘えてくるのかなと。夏に蝉がベランダに飛んでくると二匹揃って猛ダッシュで捕まえに行くのですが、狩りが上手なのはミケの方で、クロはいつも後を追いかけるだけって感じでした。かわいいやつめ。ミケは一度雀の巣立ち雛を捕まえたこともありました。ワイルド。無事に保護して飛び立って行ったのでよかったです。父がクロに指しゃぶりの癖をつけて、おっさんの硬い指をひたすら舐め噛みしたせいじゃないかと思うのだけれど、クロには噛み癖があって、紙でもビニールでも弁当箱のパッキンでも思うさま喰いちぎるし、わたしの裸足の指を舐めては噛むのも好きで(かなり痛くて迷惑)、特に困ったのはイヤホンのコードをかじって断線させることでした。被害にあったイヤホンは十の指じゃきかないと思う。なるべくイヤホンがクロの視界に入らないよう注意を払っていたけど、うっかりするとすぐさまやられて、一度、買い替えたばかりのイヤホンが数日でまたもや被害にあったときは、本気で腹が立ったので頭を強く叩いて叱ったら、ちょっと傷ついたようなきょとんとした顔をしていたのが今になって鮮やかに思い出されます。逆に、わたしが酔って帰ってクロにべたべた絡んでたら、何度か鼻をがぶり噛まれてかさぶたができたこともありました。犬歯が鼻にサクッと刺さってアイター!となって数秒経過、やっと口を離すとクロは「ふん!バカめ!」という感じで去っていってしまうのですが、鼻に二カ所じんわり血がにじんでくるのを鏡を見て消毒しながら、これ跡になるな〜というときの情けない気分も、今となっては懐かしいです。徐々に年老いて、もう脱走することもなさそうだからと何年か前に母が連絡先の書いた首輪を二匹から外したのですが、首輪の跡はずーっと消えないままで、ようやく最近になって消えたかなーと思っていたら、わたしたちの許からも去って行ってしまったクロ。もともと猫は食べすぎたり毛玉だったり、吐くことは日常的で珍しくないのだけれど、夏前くらいから毎朝のように部屋のどこかしらに吐いた形跡があって、中身はなくて胃液(?)だけのことも多く、けどこっちも慣れてしまって、また吐いてるから拭かなきゃ、くらいにしか思わなくなっていたことを、ものすごく後悔しました。ミケ一匹になって吐くことが極端に少なくなったので、あれはほとんどクロだったのかと改めて思い知って、心底やりきれなかったです。母もわたしも猫がいることが当たり前になり過ぎてて、特にわたしは、飼い主というより、のび太にとってのドラえもんみたいにどこか思っていたようで、気づいたら生き物としてすっかり死を迎える準備に入ってたクロに動揺するばかりでした。「キッチン」のえり子さんの、「誰よりもわかり合えた妻は、もう、私よりもパイナップルよりも、死のほうと仲良しになってしまった」という件が頭をぐるぐる回って。今年の冬はクロはよくわたしのところで寝ていたけど、夏は二匹とも母と一緒に寝ていて、そもそもわたしも出かけてばかりだったし、きっとクロは具合よくなくてもわたしが家にいて甘えられるときはいつもご機嫌だったんだろうなと思うんです。自分のことばっかりで、調子よくないのちゃんと気づいてあげられなくてほんとごめん。しかも、ちょっとでもよくなってほしい、苦しまないでほしいと思うあまり、無理に水を飲ませたり猫用栄養ミルクを買ってきて無理に摂らせたり、余計なことをしたせいで、静かな最期を迎えさせてあげるどころか、誤嚥を起こさせてかえって苦しい思いをさせてしまいました。サイテーです。しっかり看取って丁寧に見送ってはあげられたけど。ただただ、もっとずっと一緒にいてほしかった。あんなに甘え猫だったのに、湿った風呂場やベランダや誰もいない部屋でひっそりと横たわって、立ち上がれなくなって、水も飲もうとしなくなって、なるべく一緒にいたくていろいろ無理強いして悪あがきしたわたしのことさえも「しょうがねーな」としずかに受け入れてくれてたような気がします。死ぬ前の数日間は、クロのそばに枕を持って行って床で寝てたのですが、ある明け方ふと気づくとクロがわたしの腕からそっと離れていくところで、こんな状態でいつものように側にくっついてくれようとしてたことがただ嬉しかった。とはいえ、家にいるあいだ片時も離れなかったわけではなくて、合間にネット見たり軽く晩酌したりはしてたのですが、亡くなるほんの少し前、好きなバンドの猫好きのギタリストさんの「月きれい」ツイートを見て、わたしも月が見たくなったのでクロを抱いてベランダに出ました。残念なことに月は見られなかったんだけど、秋のはじめのベランダは様々な虫の声でとても賑やかで生命力に満ちていて、きっと大好きだったはずのベランダで、クロもいっとき調子の悪さを忘れて普段どおり耳を澄ましているかのようにわたしには感じられました。そしてそのあとすぐに絶命したのですが。今になって考えると、激しくむせたあとに、首ががくっとなって、瞳孔がさっと開いたようになって目を開けたまま動かなくなって、けど体は温かいままだし、まだ息をしているのか死んじゃったのかどうかはっきりとわからなくて(わかりたくなかったのかも)、混乱したまましばらくずっと抱いてました。そして母を起こしに行って、これ、クロ死んじゃったのかなあ?と泣きながら子供みたいに聞くしかなくて。そのあとクロを抱えたままネットで検索したりもして、これはもう戻らないんだなとやむなく納得してからツイートなどして。しかもその日は夜ライブがあったのですが、朝から何人か友だちに電話して話を聞いてもらったり、見に来てくれた友だちもいたおかげで、どうにか演奏することができました。他にも、メールした友だちだったり、みんなそれぞれに違った角度から誠実な言葉をかけてくれて、そのどれもがとても胸に沁みました。とてもありがたかったです。

クロがいなくなってしばらくは、様々な記憶が蘇りました。クロがたまにわたしが寝転んで本を読んでいるときなんかに身体の上に乗っかってきて、肉球を顔にのせたまま寝ちゃうのが、衛生的に考えると無しなんだろうけど、感触が気持ちよくて大好きでした。まだクロが若い頃に、肉球ってほんとよくできてるよなーと思って触りたい放題のクロの肉球の指の間とかすみずみまで撫でさするのがマイブームだったことがあったのですが、あるときクロが勃起いたしまして、わたしも戸惑って、なんかマズいことしちゃったのかな〜と思って行動を慎むようになったのですが、一、二年前に職場で猫マッサージの本を借りてざっと目を通したらば、マッサージが気持ちよくて勃起することはままあるらしく、なんだ、気まずく思うことはなかったんだ、ただ気持ちよかったんだなとだいぶ遅ればせながらほっとして。猫マッサージ、結局してあげられなかったなーとか、肉球のあたたかな感触をぼんやり思い出してたら、そっかあの頃わたしが肉球をナデナデしてた気持ちよさがクロの記憶のどこかに残ってて顔を触ってくれてたのかもしれないな、などと思ったり。あと、大人になってからのクロは何故かよく尻尾でわたしを構ってくれて、コールアンドレスポンスみたいな感じで反応があるのが何とはなしに嬉しくて、意味もなく尻尾にじゃれついては遊んでたのですが、あれは、わたしよりいつのまにか大人になったクロが、こいつ紐で遊ぶのほんと好きだったし構ってやるかね、みたいに思ってくれてたのかもしれないな〜と。どれもこれも、一緒に過ごしてきたささやかだけどかけがえのない時間ゆえだったこと、存在が当たり前すぎて子供のように無造作にいられたことが自分の気もちをどれだけ軽くしてくれたか、そして猫を飼おうとしてくれた父の気もちにまで思い至ると、クロがいなくなって悲しいけど、しんどいことも多かった二十代にくらべて今いるところのすばらしさや、与えてもらったあれこれに感謝する気持ちで胸いっぱいになります。大げさですね。

クロが死んでしばらく、お店の手伝いで馴染みのお客さんとおしゃべりするときなんかに、飼い猫が死んじゃってショックなんですよ〜と軽く話題にしつつ、最近の写真で一番面白かった一枚だけ見せてたのですが、ご夫婦でよくお店にいらっしゃって猫を何匹も飼っているという猫好きのお姉さまに「オレがヨーコさんの夫ですが何か」って顔してる!と言われて、そうかひょっとしてそんな風に思ってくれたんだろうか、と何だか嬉しかったです。一緒にいてくれてほんとにどうもありがとうクロ。そして今日も元気でいてくれてありがとうミケ。ミケがいなかったらペットロスまっしぐら間違いなしだったよ。そしてそして、父がどうか健やかな心持ちでいてくれますように。乱文乱筆、失礼いたしました。ここまで読んで下さった方も、ありがとうございました。

ひっこします

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「夏のゆらぎ」


暑い夏の真ん中で
焼けつくアスファルトの熱気と
強い陽射し 汗が噴き出して
夏のゆらぎ 今僕ら何処へ行くの


蝉時雨 降りしきる午後 見失う 光と影と
眩しさに顔をしかめる ここにいる 消えてなくなる
変わらない 変わりゆく 今日も僕らは歌う


暑い夏の昼下がり
強い風が吹いてくる
入道雲は高く膨らんで
気紛れな夕立が 洗い流す


伸びすぎた髪をほどいて 持て余す いつからだろう
長過ぎる月日の中で 少しずつ深まってゆく
変わらない 変わりゆく 明日もわたしは歌う?


暑い夏が過ぎてゆく
新しい季節が君を待つよ

「犬の恋」


うまく言えないけれど いつからかはじまった二人
忘れない いつまでも 同じ月見てたこと


星降る夏の夜 思い出はそっと
わたしたちを乗せて 空に舞い上がる


君が望むならば 少しだけ無理だってするよ
わたしを連れて行って 夕日沈むあの丘へ


よく晴れた冬の日 手をつなぎ歩こう
白い息で笑う 肩を寄せ合って


別の場所で見上げた星座のような記憶
今も鮮やかに瞬いて いる ほら また


離れられなくなったら いつまでも一緒にいよう
貼りついた胸の奥 面影は昼も夜も