イタイイタイ

お気に入りに登録しているとある日記サイトをしばらくぶりに見にいったら、
筆者の方がメンタルな問題で会社から一方的に休職を言い渡され、
同僚に送ったメールの返事も来やしない、とあった。
びっくりしたのと同時に、痛いほど気持ちがわかる気がした。


4年まえ、カナダで鳥の調査ボランティアをしていたとき、
わたしは日本につき合ってる人がいたのに、
他の人をやみくもな勢いで好きになり、
自分の中で折り合いがつかなくなってしまい、
肉体的、精神的な疲れが重なって、病院沙汰になってしまった。
夜中に救急車で運ばれて、鍵のついた個室に入れられ、
両親が日本から(文字どおり)飛んできた。
薬が効いて正常心を取り戻してから、調査に戻ることを熱望したのだけれど、
願いはもちろん叶わず、両親と一緒に帰国した。


自分でもどうすることもできない心の問題で、
これまでの仕事を続けたいのに周囲に許されない歯がゆさは知っている。


夕方、河原を散歩した。
音楽を聴きながら、鳥や景色を眺め、あれこれ考えた。
思春期にものごころついてからこれまでの人生、
裕福ではないにしろ、物質的な不自由は感じたことがないし、
友人にはめぐまれた方だと思うけれど、
ここだという居場所を見つけることはできていないように思う。
社会での役割を見つけたくて、自分なりに頑張ったりもしたけど、
どうもうまく行かなくて、今はこんなところにいる。
ちゅうぶらり。
努力しているとは到底言えないかもしれないけど、
そんなに怠けてきたわけでもないのにね。

昨日買ったCDを繰り返し聴いている。


「僕ら考える答え
 わからないのが本当で
 僕ら持っていた答え
 揺るがないものなので
 目の前は青空
 思い出してぎょっとして
 傷が無い振りなんて訳もないよ」


歌詞の意味はよくわからなかったりするけど、
音は訳もなく心のすり傷に染みるのだ。
今日の空はうす曇り。
霞がかった西の空に、淡い太陽が浮かんでいた。


大勢の中で孤独を感じるよりよほど一人でいる方が好きだと思ってきたし、
そのように行動してきたけれど、
寂しさを感じていなかったわけではないと気づいた。
カウンセリングで「さびしがりやで甘えんぼうの自分を認めていない」
みたいなことを言われたことがある。
もしかしたらそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
目に見える答えはどこにもない。


そして結論もないこの駄文。なんとなく終わり。