声の出てくるところ

以前、文章のよしあしはそれを書く人間のよしあしではなく、どの部分をどのように翻訳するかによる、というようなことをどこかで読んで、なるほどーと感心した。文を書こうとするとき、そのことをよく考える。文体という言葉は、じつのところ、どうも実感がわかない。

よそ行き声でしゃべり続けられると聞いている方も疲れてしまう。かと言って頭に浮かんだことをたれ流されても、困る。自分に酔っているような文章も、あまりに度が過ぎると食傷する。あるていど自覚的に、あるていどは自然に。むつかしい。考え出すとわけがわからなくなって一言も出てこなくなることもある。でも言葉が好きなので、考えずにはいられないのが、やっかいなところ。

どこからどんな声を出したいのか。実際にはどんな声が出ているのか。はたして、誰の耳に届くのか。

(聞こえる?)