ごくごく水を飲む

ひさしぶりに「アムリタ」を読み返してみた。

吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト

吉本ばなな自選選集〈1〉Occult オカルト

吉本時代のばななさんの小説は特に、あまり楽しんだとは言えない十代の学校生活をやり過ごすための心の支えだったと言って過言でない。ちょうど雑誌に連載されていた頃わたしは大学浪人中で、予備校には週2回、3コマの授業を受けに行くだけだったので、図書館に勉強しに行っては息抜きに読んだものだ。センター試験が終わった帰り道、自分へのごほうびとして出版されたばかりの小説の上下巻を買って帰った。1年間の浪人生活は、さすがに入試前3ヶ月くらいは精神的にちょっときつかったけど、それまでの学校生活にくらべると、基本的にのびのび過ごせて楽しかった。どこにも所属していないことに解放感をおぼえていた。そんな記憶と物語の印象が微妙に重なっているような。
改めて読み返すと、感性を形作る鋳型となっていると言えるくらい、この小説の世界観が自分の中に刻み込まれていることがわかって、気恥ずかしいほど。そして、登場人物がわたしの心の中でずっと生き続けていて、本を手に取りさえすれば、いつでも変わらない姿に会えることがとても嬉しい。小説は、時代を経て古臭く感じられる部分が映像ほどには顕著でないのも、よい。主人公が偶然手にした小説をきっかけに事故で失っていた記憶を取り戻す部分がある。わたしにとっての「アムリタ」は、きっと主人公にとってのその小説と同じくらい大きな存在だろうと思う。

 でも気づけば、おなかが減っていたり、明日は何時からバイトだとか、電話するとか、そんなことばかり。(中略)この肉体、この音声。行けるところと、行けないところ。限られたことと、限られてないことに思いをはせること。
 そんなことしかできなくて、そんなことこそがすべてを含んでいて。
 そういうすべての空間を連れ去って、ただ贅沢に一日が終わっていくのだ。

半端者である自分の感受性を殺さず生き延びるために、音楽を聴いて本を読んで、少しずつ育ててきた部分がたしかに今につながっていると思える。偏っていて不格好かもしれないけど、それなりに味わいのある大木に、いつかなれるといいな。