夜桜

遅番の帰り、喫茶コーナーで残ったパンのおすそわけにあずかったので、迷わず寄り道。公園の池のほとりで缶チューハイを片手にカツサンドをかじりつつ、こころゆくまで夜桜見物。しあわせ。

    

「初めて日本に来たときの春は雨ばっかりで、ちっともいいところだと思えず憂鬱だった。でも一回だけ、雨の日のタクシーの中から、桜を見て感激したんだ。空は曇っていて、窓にはこんなふうに向こうが見えないくらいに水滴がいっぱいついていた。その向こうに線路脇のフェンスの緑の金網があって、さらにその向こうにやっと、桜の桃色があった。いちめんに。ぼやけた二重のフィルターを通して初めて気づいた。春、そこいら中に狂ったように桜が咲き乱れてる日本という国の神秘に。」

「オリーブ、散歩に行こう。」
 と私が言うと、オリーブは若い頃と同じように元気な感じで飛びついてきた。それは久しぶりのことで、私は嬉しかった。まだ濡れて光ってる道を、オリーブと歩いた。急な雨で、桜がたくさん散っていた。近所の高校の脇の坂道の所の桜並木は、散りたてのきれいなかたちの花びらで、ピンクのじゅうたんみたいにいちめんに飾られていた。西日を浴びて立っている桜の木々にはまだたっぷりとした花が咲き、水滴を含んでみずみずしく輝いて見えた。道には誰もいなくて、世界はただただ豪華な金とピンクの光線に満ちていて、この世ではないような光景だった。
「オリーブ、桜がきれい。」
 と私は思わず話しかけた。するとオリーブは真っ黒な澄んだ目で私をじっと見上げた。まるで金色の西日より、桜よりも、私を見ていたいというような表情をして。そんな目で見上げないで、と私は思った。宝物や山々や海を見つめるような目、死ぬのは別に怖くない、ただあなたと会えなくなるのがつらい、そういう目だった。


fantastic!!!!!!